人生に意味などない。(『人生の目的が見つかる魔法の杖』西田 文郎を読んで)
みなさんは、人生の目的、ありますか?
といっても、私としては人生の目的があったほうがいいのか、なくてもいいのか、正直分からないです。
人生の目的を漠然と作ったほうがよさそうだなと思いつつ、なぜ必要なのか?どう定義するとよいのかがわからないな…と思いまして、「人生の目的」に関する書籍を複数、読んでみています。
その流れで、『人生の目的が見つかる魔法の杖』西田 文郎を読みました。
ためになったことを書いてみようと思います
人生に客観的な意味はない。
P28
河原にたくさん転がっている石ころの意味と同じように、私達の人生に徹頭徹尾欠けているのが生きる意味である。
ただ、河原に転がっている石にも、拾ってひうち石にしたり、漬物石にしたり、それを投げて鳥を落とそうとすると、そこに何かの意味が生まれる。全く意味がないように見える人糞にさえ、畑にまけば肥料になる。
なにかに使うことによって、どんなものにも命が宿る。間違いなく生きて死んでいくだけの私たちの人生も、「何のため」に使うかと発想すると、イヤでもそこに意味が発生してくる。つまり、こうだ。
人生とは、生きるものであると同時に、何かのために使うものである。
上記の例からわかることは、自然界に、客観的な意味など存在しないということです。
自然界に意味はなく、人間が勝手に与えるもの。意義を与えること、その事自体にまさに、人間が意義を見出す。そんな事しか客観的には存在しないのではないかと。
このあたりは、勉強不足で詳しくはわからないですが、脳科学・心理学等でわかっていることと紐付けられると面白そうと思いました。
なので、追って調べてみようかと思います。
目標と目的を捉え違えてはいけない
P32
寂しい人は、寂しい目的を持っている。なぜ年商500億が寂しいかというと、それがちっとも人の心をわくわくさせない。
~(省略)~
寂しい人間は、本来なら「目標」にしかならない数値を「目的」と取り違えやすい。
P33
苦しい目標も、目的に支えられると、人をワクワクさせる目標になる。
寂しい目標は立てないほうがいい。最終的に不幸な結末を迎えてしまうケースがあるようです。
この顕著な例(そして興味深い例)として、バーンアウト現象があります。
筆者いわく、年商500億を目指して、ワンマン社長として頑張ってきた人が、定年になって人生のやる気をなくす現象が本当に多い(らしい)。
バーンアウトにならないように、目的の設定は工夫したほうがよさそうですね。
仮結論:人生の目的を定義したほうがよさそう。快感情を求めるのであれば。
人間は意味づけがなされないものに対しては意義を見出すことができない
意義を見出差ないものに関してはやる気がでない
目的・目標を定義すると人間はやる気がおきるのではないかと思いました。
ただ、目標だけだと苦しくなる。大事なのは、目的を持ち、それに下支えされた目標を作るのが肝心なのではないかと思いました。
このあたりの法則い関して、脳科学や心理学などで発見されてないのかしらと思いましたので、目的本を一通り読んだら、次は脳科学系を読み漁ろうと思っています。
おもしろき事もなきこの世をおもしろく(高杉晋作)生きたいなあ~。
以上