哲学したいときは、「問い」を間違えないこと
問いが間違っているパターンには気をつけた方がいい
たとえば、「なぜ人は生きるのか」、「なぜ死んではいけないのか」等と哲学好きは考えることがあるが、そのような問いはあまり意味がなく、「なぜ【私】は生きるのか」、「なぜ【私は】死んではいけないのか」と考えることには意味がある。
なぜなら、人生や生きることにおける意味は個別で決まるから。汎用的な答えなんて無きに等しい。
問いを間違えると、間違った問いについて考え続けることになってしまう
たとえば、以下記事では、「ろうそくの火が消えたとき、その火はどこへ行くのか?」というお題がある。
しかし、この問いは間違っている。正しくは、なぜ消えるのか?である。
間違った問いを考え続けることで時間の浪費になってしまう。
問いを間違えないことが重要だ。
汎用的な答えは、人生について論じてくれない
科学は汎用的な答えを出そうとする取り組みである。ただし、科学は、人生の意味には答えてくれない。個別で考えていくしかない。
だから、ちゃんと自分の頭で考えて、個別最適で考えていく必要がある。