教育のあるべき姿
子どもを教育するとき、何かをアドバイスするときの基本的な姿勢について
以下本を読んでいて少し考えることがあったので、記事にする。
以下、本の抜粋。
私は小学校1,2年制のことは、とても内向的な子供で、学業成績もあまりよくありませんでした。
担任の先生は、教科書に書いてあるとおり、自分が教えたとおりに答えなければバツだったんです。
私は、自分で考えるタイプの子供でした。
ですからいつもその先生から、「本にはそう書いてなかったでしょ」「私はこう教えなかったでしょ」
って言って罰せられた。そのために、私は勉強に向いてないだめな子だと信じるようになっていたと思います。
3年生になりまして、担任が替わりました。その先生は若い男の先生でしたが、その先生はこんなふうでした。
「わかるか」って言って「はい」と手をあげますと、「はいのだ、言ってごらん」
私が間違った答えを言いますと、「おお、のだはそういうふうに考えるか、おもししろいな、でもなあ、普通はこう考えるんだ」
私あそれを聞いてとても勇気づけられました。どんなふうに考えてもいいのだと。自分で考えていいのだと。でも、みんながそう考えるのなら、私も普通の人が考えるように考えてみようとも思うようになりました。
どんなふうに考えてもいい
実際、生き方に正解はないし、答えはひとつではない。
なのに、客観的な答えがあるような指導をしていると、答えがあるときの生き方しかできなくなってしまう。
ただ、答えがあるときの生き方というのは、テストのような人間がつくりだした特殊な空間でしか存在しない。
「答えはなんでもいいけど、一般的な解も知っておくと便利」くらいのスタンスがちょうどいい。
考えるクセがなくなってしまう
自分で答えをつくらず、模範解答を真似るだけの子どもになると、
テストでは満点をとれるかもしれないが、
学校から卒業し、答えのない社会に出たときに、精神を病む。
答えがないからどうしたらよいのかわからないからだ。
自分で考えるクセをつけておくことが大事だ。
多様な考えや答えがあることを知っていれば、他人への許容度もあがる
答えがひとつでしかないと思っていると、「答えはこれなのに、なんでこの人は従わないんだ」という勝手な怒りが湧いてくる。
同じ考えの人なんて存在しないのに、だ。
このような考えは、ひいては多様性の排除につながり、争いや戦いに発展する。
多様な考えを受容することは平和につながる。
平和への第一歩として、この若い男の先生を参考にしてみてはいかがだろうか。