この世には絶対的正解がないということを改めて語ってみたい。
表題について、自戒も込めて書き記しておきたい。
現実は試験勉強ではない
現実世界が試験勉強だったらどれだけ生きるのが簡単か…(これこそ人それぞれの考え方だが、笑)。本当にそっちのほうがいいかはさておき。
もし現実が試験勉強だったら、試験の傾向と対策を読んで、正解を丸暗記して、答えればいいだけ。
しかし現実は違う。
どちらかというと答案問題より、解釈が委ねられている、芸術のほうがイメージが近い。
絶対的な答えがない理由
絶対的な答えがなぜないのか。それは、人によって答えが違うからだ。普遍的な答えはないということだ。
たとえば、超有名なビジネスパーソンがやっていることが、あなたのやるべきことかどうかはわからない(むしろ違うことのほうが多い)。
なぜなら、それはアナタ最適化されていないからだ。
あなたは彼と状況も才能も、やってきたことも顔もスタイルも違う。だから、彼が成功した方法が再現性があるとは限らない。
また、大多数がAと言っているからAが正解とも限らない。
戦時中は、戦争賛成が多数派だったが、現代では否定されている。人殺しが容認されている時代が日本にもあったのだ。(人殺しがどうこうというより、時代によって大多数の意見は変わりうるということを言いたい)
つまり、もはや答えなどなく、自分がどう思うかでしかない。
より絶対的な答えがない世界になってきている
どういうことか。
大量生産時代には、富を得る、ということが答えっぽかった。だから稼げれば幸福になれる、つまり大量に稼ぐ方法が幸福っぽかった(本質的には違うが。)
しかし、現代は、より質的な幸福を求めている。
「やりたいことをやる」ことが幸福になってきている。
「正解」は自分の中にしかない
「正解」を答えるのではなく、行動を「正解」といえるように頑張って生きていく
「自分がやりたいことを真剣にやれているか」がこれからの唯一の指針となるのではないかと思う。