目標は持つな。アドラー心理学に学ぶ、目標の捉え方とは
何かしら、活動するにあたって、目標をもつことは便利だ。
目標をもつことで、それに向かって邁進することができる。
ただし、それを人生にあてはめると、少し弊害がおきることがある。
このことについて、アドラー心理学から学んでみよう。
以下抜粋
目的と方向性の違い、おわかりになりますか。目的は未来のどこかにあるけど、方向は今ここにある。目的は常に幻想にすぎないけれど、方向は現実だ。目標っていうのは、方向の矢印を伸ばしていった先に、仮に想定したものなんです。それは実在しない。それは診断者が勝手に想定したもので、クライエントの人生の中には存在しない
アドラー自身もそう考えていたふしがある。彼は人生目標のことを、いつでも仮想的人生目標と言うんです。誰の仮想化については彼は言っていないんだけれど、私は診断者の仮想だと思っています。
(中略)
そうね、ともかく人生目標なんていうのは、本当は嘘だと私は思っています。そういうモノを考えてしまうと、幸福になれないんだ。理想の自分というのを設定しておいて、その理想から現実の自分を引き算して採点すると、みじめになる。理想の自分なんか、どこにもいないんですよ。頭の中以外にはね。そういうやつのことは早く忘れることだ。
(中略)
存在するのは、今ここにいるこの私だけなんです。私がこの私を好きなってやらなかったら、誰も私を好きなってくはくれない。「いとしい私」って言える人だけが、「いとしいあなた」って人から言ってもらえるし、「いとしいあなた」って人に言う資格があるんです。まず、何が何でも、ありのままの自分を好きにならなくては。そこからすべてが始まるんです。そのためには、自己理想とか人生目標といった考えは邪魔になる。
理想ー現実 ギャップアプローチは万能ではない
何か課題に取り組む際、理想ー現実ギャップアプローチというアプローチが便利だ。汎用性も高く、課題の分析に一役買ってくれる。
ただし、人生に使ってはいけない。
なぜなら、現在地を否定するメッセージングを自分に与えてしまうからだ。自分を理想から引き算した、マイナスの地点として、捉えてしまうからだ。
実際には、ベストを尽くした結果として今があるのだが、それを忘れてしまう。
現在の自分を肯定しても、成長することはできる
なぜか、今の自分を否定することでしか、成長ができないと思われがちである。
(筆者は、採点性をとっている現代の教育システムに要因があるように思っている。)
しかし、自分を否定せずとも、成長することはできる。
過去のベストを尽くした結果があり、その上で次をどうしたいかを考える。そんな感覚で考えればいいのだ。
それができないと、常に「理想」に追われる生活になってしまう。それはそれは辛いものだ。
目標は幸福になるために存在する
目標は幸福になるために存在する。そうなはずなのに、目標に追い立てられる毎日を過ごす人間があまりにも多いように感じる。
幸福になるための目標のはずが、目標に不幸にされてしまっては元も子もない。
幸福になるために、目標の捉え方を変えてみてはいかがだろうか。