「孤独」と「寂しさ」は違う。「孤独」になろう。by『孤独になるためのレッスン』 諸富 祥彦
孤独がつらい
さみしい。恋愛も果て、親友と呼べる人もいないと、孤独な気持ちに苛まれる。
だが、孤独はそもそも悪いことなのだろうか。
ということで、心理学者の諸富 祥彦さんのこの本を読んでみた。
「孤独」と「さみしさ」は違う
この本では、以下本を引用し、孤独とさみしさを説明している。
さみしさは、しばしば、人と人とのつながりが拒絶されたり、離れ離れになることによって体験されているものである。
それは、私達が別れや死に直感したときに襲いかかってくる感情であり、周囲から誤解されたり、阻害されたり、愛が破れたり、これまで本当の自分を生きてこなかったことに気づいた時に生まれてくる感情である。
一方、孤独とは、自然の静けさの中で無言で木や森に語りかけたり、静かに詩を一人読んでみたり、音楽に聞き入ったり、芸術作品を紐解いたりするときに去来する。
孤独は自分の世界を楽しんだり、より内面の世界に入っていく営みだ。
一方、さみしさは、短期的な悲しみや辛いことに対して打ちひしがれてしまうことだ。
孤独を知っていれば、さみしさはやってこない。一方、さみしさは、孤独になれる糸口になる。
意図せず孤独になってしまったり、さみしい気持ちになってしまっている人は、以下のように考えるといい。
あなたは、本当にあなたにとって大切な何かを見失ってしまっていた。その何かを見つけるために、あなたは孤独に追いやられたのだ。
さみしいと感じるその瞬間は、浅い人間関係や、依存関係から解き放たれて、自分にとって大切な何かを見つける、大事な機会だ。
大切な何かを見つけるには、死を意識すること
人は、「死に対する先駆的な決意」つまり、自分がいつかは死ぬ、もしかすると明日、いや今日にだって死なないという保証はないのだということをリアルに自覚するならば、その人自身の「本来の可能性」に気づくことができる。
死を恐れている患者の多くは、実は、死ぬことを恐れているのではない。そうではなく、自分の人生で、やるべきことはやった」という実感を持てないまま死ぬのを恐れている
つまり、死を意識して「本来の可能性」「やるべきこと」を直視せず、浅い人間関係にもたれかかっていると、別れが訪れたときに、破滅的な感情に打ちひしがれることになる。
ゆっくり自分と向き合い、自分の本来のやるべきことに意識を向ける。そういうことが必要なのではないか。
最後に、この本でおすすめしている想像の仕方を紹介しておく。
今から、人生という作品を、キャンバスに描く。そのチャンスはたった一度だけ。2度とやりなおしはきかないし、描かれた作品は永遠に残り続ける。
参考にしてみてはいかがだろうか。